ハチ公物語
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002 2021/06/10(木) 17:13:58 ID:xfY7zoSJtk
忠犬というのは事実ではない。
実際のところ、飼い主の上野英三郎博士は駒場の帝大農学部に徒歩で通勤しており、渋谷駅を使わなかったわけではないが、ハチが毎日渋谷駅に送り迎えをしていたという通説は誤りである。ハチが飼い主の上野博士の家にいたのは一年ちょっとに過ぎず、1935年3月に11歳で死ぬまでの大半を、上野家に出入りしていた植木職人の小林菊三郎のもとで過ごした。ハチの渋谷駅通いが始まったのは小林のところに来てからまもなくのことであった。当初は野良犬同然の風体で、おとなしいハチは道行く人から追い払われたり、蹴られたり、顔にいたずら書きされたり、散々であったという。
ハチの運命が劇的に変わったのは、1932年10月4日のことであった。この日の朝日新聞朝刊に「いとしや老犬物語—今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」という記事が写真入で掲載され、大反響を巻き起こした。薄汚く冴えない犬は一夜にして大スターとなり、やがては忠君愛国のシンボルに祭り上げられていく。
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